まずは、島田市川根地区にある野守の池。数万年前まで大井川の一部であったといわれる河跡湖です。
大井川の今ある蛇行もいずれはこうなる場所が多発するのでしょうね。
次は竜門の滝へ、国道473号の入口から5分ほど歩くと20mほどの滝が見えてきます。滝のすぐそばまで行くことができ、浴びる水しぶきはマイナスイオンたっぷりです。
この滝は、横臥褶曲といわれる地層が曲がる現象が見れることで非常に貴重なところで、1億年前には、海底だった地層が何らかの圧力によって曲げられてできたものです。
この横臥褶曲が竜の形に見えることから、この名前が付けられました。
島田市内方面の写真。竜門の滝付近は大井川から100~150m標高が高く、見晴らしが良いですね。
大井川といって、ワタシがイメージするのは、歌川広重の風景画です。
こうゆうのですね~
教科書にも載っていた、大名行列の蓮台を担いで大井川を渡る川越人足の様子を描いた画。
そこで、ぜひ行ってみたかった島田市博物館と川越遺跡へ。
ここには、江戸時代の旅の様子や川越制度について紹介したり、さまざまな展示物があります。
こちらはジオラマビジョンで、島田宿の旅人宿や川会所を舞台に人々がどのようにして旅をしたか、当時の様子を演劇風に紹介していて、なかなか面白いですね。
江戸時代初期では、人の移動は厳しく制限されていたそうだが、東海道、中山道、日光街道などの街道が整備され、江戸時代後期になると、お伊勢参りなど旅は庶民においてもブームになりました。
この写真は道中記といわれ、宿場間の距離、川の渡り方、駄賃、街道沿いの名所などを記したもので、現在のガイドブックのようなものです。
博物館から歩いてすぐのところにある川越遺跡。
当時の「川越し」の料金所や、人足の待合所などの風景を再現したもので、国指定史跡となっています。
島田宿は東海道の中でも大津、府中(静岡)、宮(名古屋)についで4番めに人口が多く、大変賑わっていたようですね。
アスファルトやキレイな家屋ではなかったでしょうが、江戸時代にタイムスリップしたような感じがありますね。こちらにも、さまざまな展示や解説があります。
こちらは川会所といって、
1696年大井川の川越制度が確立し、こちらにて川越しの料金規定、支払いなどの管理運営を行っていたところです。
大井川を渡りたい人は、川会所にて川越のための切符(川札・台札)を購入します。
その値段は、川の水深と川幅、蓮台の大きさによって決められます。
水深は、毎朝水深を測り、
脇通(約2,820円)→ 乳通(約2,340円)→ 帯上通(約2,040円)→ 帯下通(約1,560円)→ 股通(約1,440円) の5段階により設定されます。
大井川を渡る蓮台には以下のようなものがありまして、
大高覧蓮台 担ぎ手16人、手張4人 川札20枚+台札(川札32枚分) 74,880円~146,640円 殿様級 |
半高覧蓮台 担ぎ手4人 川札4枚+台札(川札4枚分) 11,520円~22,560円 家老級 |
平蓮台 担ぎ手4~6人 川札4~6枚+台札(川札2枚分) 8,640円~22,560円 庶民級 乗る人が1or2人によって料金が変わります |
※金額は当時の値段から換算した金額です。
他にも、
・馬越し:馬に乗ったまま川越し。武士のみ
・肩車:川札1~2枚
・棒渡し:無料。丸太の両端に人足がついて、それに捕まって渡る。お金が無い人
といったものがありました。
川越人足は、口取(45歳以上の者)、待川越(ベテランの川越人足)、本川越(一人前の川越人足)、水入(15歳以上の見習い)、弁当持ち(15歳未満の若者)があり、明治4年に大井川の渡船許可が下りるまで活躍しておりました。
■大井川の洪水
大井川は20世紀に入るまで、氾濫を繰り返してきた川です。
・8世紀以降で200回以上の洪水が発生
・江戸時代の268年で130回
1604年の大洪水では現在の島田市、藤枝市、焼津市の平地のほとんどが水に浸かり、島田宿の再建に10年かかったそうです。
江戸時代、大井川は架橋や渡船が禁止(*1)されていました。それは軍事理由によって幕府が規制していたためですが、これほど洪水を起こす川に橋を架ける技術が無かったのではとも言われてます。
このような環境のため、大雨が降ると大井川の川越は2~3日から1週間程度、川越し禁止になることがしばしばで、最長28日も渡ることができなかったことがあったそうです。
このような理由から、東海道最大の難所とされてきたため、川越人足は、特殊な訓練を積んだ非常に高度な渡渉技術を持っていた方々と思われます。
(*1)例外として、
・大井川上流の井川に1つだけ橋が存在
・幕府御用材の伐採と運搬のため、紀伊国屋文左衛門の船だけが航行可能
島田市博物館を後にして、藤枝市の大井川近くにあるお店へお昼ごはん♪
「まめ」という名の定食屋さんです。皮はパリっと中はジューシーのチキンステーキ定食。ニンニクを効かせたソースもおいしいです。ほかにも美味しそうなメニューが盛りだくさんでした。
お昼時もあって、駐車場待ちができるほどの混雑でとても人気があるお店ですね。良いお店を見つけました~
お昼ごはんの後は、大井川の河口へ向けて進みます。
静岡県営吉田公園に到着しました。14.3haもの敷地に、四季の花を植えたり、各種イベントも開催されているところです。毎年3~4月に咲く60品種10万本のチューリップは圧巻の光景のようですね。
吉田公園から、海側に向かってしばらく歩くと、大井川の河口が見えてきました。
堤防を越えて海岸沿いに進み、大井川の河口すぐ近くまでやってきました。
河口から上流方向の眺め
googlemapsで河口を見ると、こんな感じです。
ここで気づくのが、水が流れ出ている場所ってかなり狭いですね。
川幅が約850mに対して、河口はせいぜい15mくらいです。河口直前まで、川幅広く使って流れていた水が一箇所に集中して流れています。
河口砂州が発達して、このままだと河口閉塞してしまいそうですね。現在、河口閉塞が恒常化するまではいっていないそうですが、ダムの貯水や大井川用水として取水したため、昔より流量が少なくなったためと思われます。この件は別途、環境問題の回でお知らせしたいと思います。
大井川河口の後は島田市へ戻り蓬莱橋へやってきました。
蓬莱橋は、明治12年(1879年)に作られた全長897.4メートルの木造の有料歩道橋で、特徴は何と言っても「世界一の長さを誇る木造歩道橋」としてギネス認定されている橋です。
近年においても台風により、数年に一度のペースで橋が流されていますが、何度でも復活を遂げています。
歩行者、自転車は番小屋で100円を払って、番小屋が開いていないときは、料金箱に入れて渡ります。
蓬莱橋からの大井川の眺め
蓬莱橋を渡った後は、長寿祈願の鐘や七福神像のある散策路を歩いていくと、茶畑×大井川×富士山(富士山は霞んでいてほぼ見えなかった)という静岡らしい風景が見れます。
大井川河口も富士山がばっちり見えるポイントですが、冬でないとキレイには見えないですね...
今回巡ったルートと場所はこんなところでした。
今回は大井川の下流域を歴史とともにご紹介してみました。
これにて、大井川の8割以上のところを進んできましたが、大井川流域のダム、発電所、林業など、まだまだ盛りだくさんです。そして、いつの日か、源流から河口までを歩いて踏破してみたいものですね。
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