大井川を学ぼう<第3回 ダムと水力発電>

大井川を学ぼう第3回目は、大井川のダムと水力発電についてご紹介します。

その前に電気に関する簡単な歴史を。
・明治11年(1878年)3月25日(電気記念日)日本で初めて電灯がともされる。
・明治20年代になると本格的に電灯供給が始まり、明治末期には100社以上の電力会社が存在した。
・大正~昭和初期に電力会社の統廃合を繰り返し、昭和26年(1951年)に中部電力や東京電力といった電力会社ができ、現在の体系になる。

といった中で大井川においては、
明治43年(1910年) 小山発電所(日英水力電気)が建設され、現在の島田市への送電を行ったのが最初である。
ここから106年を経た現在、大井川水系のダム:14、堰堤:18、発電所:15が稼働しています。
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代表的なものを上流部から紹介します。
①田代ダム
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昭和3年(1928年)完成。
重力式コンクリートダム(非越流型)
堤高:17.3m
総貯水容量:22万立米(堆砂容量、利水容量、洪水調節容量を全て合計したもの)
有効貯水容量:15.3万立米(総貯水容量から堆砂容量及び死水容量を除いた容量)
ここの水は、導水管を通って山梨県早川町の田代川第一、第二発電所にて発電、東京電力管轄で山梨県、静岡県東部へ送電される。当初、落差870mの発電所を計画していたが、当時の技術でこの落差に耐えられる水圧管を作ることができず、2つの発電所となった。
大井川最上流の水は、実はほとんど東京電力が使っていたんですね...

②赤石ダム
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平成2年(1990年)完成
重力式コンクリートダム
堤高:58m
総貯水量:309万立米
有効貯水容量:120万立米
赤石ダムは、大井川の本流ではなく、支流の赤石沢にあります。大井川の本流の木賊堰堤、滝見堰堤から取水して、赤石ダムへ送水します。
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こちらが木賊堰堤。ここから取水して、

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その導水管の吐き出し口。ここから赤石ダムへ進みます。

③畑薙第一ダム
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昭和37年(1962年)完成
中空重力式コンクリートダム
堤高:125m
総貯水量:10,740万立米
有効貯水容量:8,000万立米
中空重力式は、ダム内部に中空を設けるためにダムの接地面積が広くなるので、普通の重力式コンクリートダムに比べて安定性が増す、建設費用の削減にもなるなどの利点がある。
畑薙第一は、中空重力式の中で日本で最も堤高が高いダムである。

④井川ダム
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昭和32年(1957年)完成
中空重力式コンクリートダム
堤高:103.6m
総貯水量:15,000万立米
有効貯水容量:12,500万立米
大井川のダムで代表的なものといえば、こちらでしょう。
このダム建設により、井川地区の主要集落が水没することの代わりに、井川線や道路の開通など、井川地区への交通は格段に良くなったと言われる。それまでは、歩いて静岡市方面へ行くしかなかったそうです。

⑤長島ダム
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平成2年(1990年)完成
重力式コンクリートダム
堤高:109m
総貯水量:7,800万立米
有効貯水容量:6,800万立米
長島ダムは、大井川水系唯一の水力発電を目的としない国土交通省管轄のダム。
洪水から川根本町を守る、牧之原台地をはじめとする日本一のお茶の生産地、農業用地へのかんがい、流域7市への水道用水、工業用水の確保が目的となっていて、見学ツアーも積極的に行うなど地域に開かれたダムです。

7月に行った見学ツアーのブログがありますので、ご参考下さいませ↓↓
http://kawanehon-chiikiok.seesaa.net/article/440634849.html 長島ダム見学ツア~

⑥大井川ダム
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昭和11年(1936年)完成
重力式コンクリートダム
堤高:33.5m
総貯水量:78.8万立米
有効貯水容量:50.3万立米
大井川水系の中で最も古いダム。写真では見えないが、ローリングゲートと言われるローラーゲートが上下して水門を開閉するゲートを採用している。

⑦小山発電所跡
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以前も紹介した大井川が極めて接近している例の場所。

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右も大井川、左も大井川。右側は上から下へ、左側は下から上へ流れています。
両者の距離わずか50mで標高差25m。
下流側(大井川が左右に見える写真の左側)に小山発電所跡があります。

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明治43年(1910年)完成、昭和11年(1936年)廃止
出力1,400kw
有効落差25m
80年前に廃止になった発電所跡がそのまま残っているのを見ることができます。

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発電所跡地の上部には、貯水池であった場所もそのまま空き地になっていて、その端に廃トンネルもありました。

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中を少し進んでみました。
導水用のトンネルかと思いましたが、このトンネルの横に井川線の現トンネルもあるので、これは井川線の廃線トンネルかと思います。

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このトンネルの途中に脇に見つけた手掘りのトンネル。これがひょっとしたら導水用トンネルかもですね。
この散策時は軽く進んだだけなので、次回もっと奥へ行ってみようと思います。

⑧大間ダム
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昭和13年(1938年)完成
重力式コンクリートダム
堤高:46.1m
総貯水量:151.9万立米
有効貯水容量:74.1万立米
大人気の寸又峡、夢の吊橋の手前にあるダム。エメラルドグリーンのチンダル湖を作っているダムですが、2016年12月7日~2017年3月7日までダムの修繕工事のため抜水するそうです。
抜水されたダム、夢の吊橋の景色はどうなのか、興味深いですね~

抜水の情報については川根本町のHPもご参考ください。
http://www.town.kawanehon.shizuoka.jp/news/newsview.asp?cd=10&id=5576

⑨長尾川水路橋
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川根本町役場横の道を川沿いに登っていくと、突然出てくる水路橋です。
赤石ダムのところでもお伝えしたように川の水は導水管も流れています。
なぜ導水管を通して水が流れているかというと、水力発電のためです。
水力発電は大きく分けてダム式と水路式の2つがあります。
■ダム式
ダムの堤体の高さを利用して水を流し、その場で発電する。畑薙第一ダムや井川ダムのような大規模なダム。
■水路式
上流部から取水した水を導水管を通して、標高を落とさないように流し、急斜面に造った水圧鉄管の標高差を活かすことによって発電する。
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このように導水管に水が流れていることによって、大井川本流の水は少なくなり、江戸時代までの洪水はほとんどなくなりました。これでめでたしと思いきや、別の問題が発生。
昭和50年代、大井川の水が完全に無くなったことにより、河川生態系の深刻なダメージ、お茶畑の害虫増加、海岸線の浸食などが起き「大井川の水返せ運動」が始まったのです。

⑩塩郷堰堤
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昭和36年(1961年)完成
重力式コンクリートダム
堤高:3.2m
「大井川の水返せ運動」の発端となったのが、この塩郷堰堤。ここで取水された水は導水管を通って、笹間川ダム→川口発電所へ流れます。その取水により、塩郷堰堤以南の大井川の水が無くなってしまいました。
その問題については、また別の機会にお伝えいたしましょう。
■堰堤とダムの違い
河川法によると、堤高が15.0m以上であればダム。15m以下であれば堰堤と定義されています。

⑪笹間川ダム
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昭和35年(1960年)完成
重力式コンクリートダム
堤高:46.4m
総貯水量:634万立米
有効貯水容量:168万立米
次の川口発電所へ送水するための水を貯水するダム。

⑬川口発電所
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昭和35年(1960年)完成
最大出力58,000kw
有効落差75.3m

⑭神座分水工
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川口発電所で発電に使用した水は、導水管を通って、この神座分水工に流れてきます。
ここで小笠用水(掛川・菊川・牧之原方面)と左岸用水(島田・藤枝・焼津方面)に分けられ、農業・工業・飲料水に使用されます。

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こちら小笠用水側。

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こちら左岸用水側。ここを通った水を飲んでワタシも育ちました。大井川の水はおいしいですよ~

日本には3,000ものダムが存在し、
水を貯めておく、洪水対策、発電といった目的がある一方、ダム建設による森林伐採、生態系の変化、ダムに堆積され続ける土砂、海岸線後退といった問題がある。
この双方の問題が昔から議論され、今もなお問題となっている。

このブログでダム建設の是非について意見を述べるつもりはないし、ワタシの頭ではこれといった解決策もないけど、ワタシの生まれ育った大井川流域の洪水が無くなったこと、おいしい水道水が飲めることには感謝しなければならない。
とりあえず、こういった問題にも少なからず関与していきたいと思っているので、少しでも貢献できるようガンバってまいります。

次回の「大井川を学ぼう」は、大井川の水を生み出す南アルプスについて書いてみようと思います。

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